10.和製ジャズ温故知新2019/CBナインと舶来主義
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- 2019/03/18(Mon) -
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1952年から起こった戦後のジャズブームは55年には下火になる。
52年ジンクルーパトリオ、53年ルイ・アームストロング・オールスターズ、 JATPオールスターズと相次いで来日し、日本のジャズファンは本場の圧倒的な 演奏とスイング感に打ちのめされるのである。 そこで日本のジャズファンの中に起こったことは、ジャズはアメリカ!という舶来主義 と日本のジャズを大切に!しようと言う国内支持派に皮肉にも分かれてしまい、そのこと が原因となりジャズブームは下火となっていく。 その欧米に偏った舶来主義は2019年の現在でも続いている。 そんなこととは関係なく、ジャズの追求に余念のないミュージシャンは ジャズブームが来る前の1949年、本格的なビ・バップバンド『CBナイン (クランベークナイン)』を結成する。 中心にはリーダーで編曲もやる馬渡誠一(as)、海老原啓一郎(as)、北里典彦(tp)、 清水閏(じゅん)(ds)。戦中は敵性音楽として禁止されていたJAZZが、戦後なだれの ごとく入って来て、それを受止めるミュージシャンも大変だったに違いない。 そのJAZZの流れを的確に読み、いち早くバップ・イディオムを身につけた馬渡誠一 や海老原啓一郎は一歩先を行く存在だった。 さらにジーン・クルーパに酔っている時代にビ・バップのリズムをたたき出そうとした 清水閏の存在も大きい。 このグループには松本英彦(Ts)も在籍した。CBナインは大きな功績を残すも 2年間の活動で解散となり、ジョージ川口とビックフォー、渡辺晋とシックス・ジョーズ 与田輝雄とシックスレモンズを頂点とするジャズブームにつながっていく。 映像はCBナインのメンバーを中心に編成された、『スイング・ジャーナル・オール・スターズ』 『スイング・ジャーナル・オール・スターズ』 北里典彦(tp) 林 一(tb) 海老原敬一郎(as) 厚母雄二郎(ts) 松本英彦(ts) 塩井芳幸(bs) 寺岡真三(p) 荒井襄(g) 小原重徳(b) 清水潤(ds) 安藤八郎(vib) |
8.和製ジャズ温故知新2019/ジャズとGHQ
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- 2019/03/09(Sat) -
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戦後から2年後の1947年、GHQ終戦連絡中央事務局の要請で
『日本ミュージシャンズ・ユニオン』が結成される。 この年ジャズ雑誌『スイングジャーナル』が創刊される。(2010年廃刊) ![]() これは言ってみればバンドの格付け審査で、審査はGHQスペシャル・サービス の立会いで、特別調達庁から委嘱された紙恭輔、渡辺弘、ディック・ミネ、南里文雄らが行なう。 現在の渡辺プロダクションを始めとする戦後の芸能プロダクションの専属タレントの報酬制度は 、この格付け審査を踏襲したものである。 また、この時期非公式に日米親善を目的として、多くのダンスパーティーが開かれる。 このパーティーには、アメリカ側から占領政策の中枢を占める高官が、日本側からは皇族、 政財界の実力者が顔を揃える。 この政策のメッセンジャーをつとめたのが『渡辺 弘と スターダスターズ』をはじめとするジャズメンたちである。 戦後占領軍の力で発展しようとしたジャズバンドは、その代償として占領政策の忠実な メッセンジャーを務めることになるのである。 このことが、後にアメリカナイズの風潮として日本の上流階級を腐蝕し、庶民階級にも 外国崇拝舶来ブームの風潮を拡げていく。 その影響は日本社会に長く尾をひき、戦後の音楽芸能の世界にその後も深く広く根を張る ことになる。 ■STARDUSTERS - SWING FANTASY ■演奏:渡辺弘&スターダスターズ ■編曲:黛敏郎 |
6.和製ジャズ温故知新2019/進駐軍JAZZ
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- 2019/03/07(Thu) -
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1945年の終戦とともに、今まで敵性音楽として禁止されていたジャズ
が演奏されるようになる。 終戦とともにGHQ(連合国総司令部)の指導のもと、翌年から音楽放送も始まる。 ここが大事なところで、戦争に敗れた日本は米国の指導のもと、ジャズを始める のである。 「ニュー・パシフィック・アワー」というタイトルで松本伸の率いる 「ニューパシフィック楽団」が登場する。この楽団には後に自分のバンドを 持って活躍した、渡辺 弘、菊池滋弥、谷口又士、飯山茂雄、ジミー原田、 森山久等そうそうたるプレイヤーで編成されていた。 ![]() このメンバーはいずれも戦前、戦中を通じスタープレイヤーとして名を馳せた メンバーばかりである。 この当時の多くのメンバーは、軍楽隊出身でクラシックやマーチをたたき込まれた 腕をジャズに切り替えて演奏を始める。 軍楽隊出身には、シャープ・アンド・フラットの原信夫、ニューハードの宮間利之等 のビックバンドのリーダーをはじめ、テナーサックスの尾田悟、トランペットの松本文男、 サックスの宮澤昭がいる。 ![]() このグループ(アズマニアン)にはジョージ川口、松本文雄(ミュージックメーカーズのリーダー) 南里文雄等も参加している。 当時の日本のレコード会社はジャズやポピュラーの輸入盤の発売をGHQより規制され、 進駐軍のラジオからのジャズ、ポピュラー・ソングやダンス・ミュージックは 聴くことは出来ても、闇取引以外に外国のレコードの入手は困難で、進駐軍の キャンプや許可された劇場以外の場所での外国ポップスを演奏したり、唄う事は 禁じられていたのである。 そのようなことで、もっぱら進駐軍の基地の中のクラブでジャズは演奏され、 東京、新宿、立川、横浜等、キャンプ地の駅周辺には米軍キャンプの仕事を求めて ジャズメンが集合する。 ![]() その中には、ジョージ川口(ドラムス)、世良譲(ピアノ)、松本英彦(テナーサックス) 鈴木章治(クラリネット)笈田敏夫、ペギー葉山、ナンシー梅木、江利ちえみ、雪村いずみ、 伊東ゆかり、フランク永井等、皆駐留軍のキャンプ廻りから育ってゆく。 この時期、米国ではビーバップ全盛の時代だが戦争で鎖国をしていた日本には 新しいジャズの息吹は入ってきていない。 こうして戦後のジャズ・シーンの幕が開いてゆく。 |