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春を眺めて歩く。
- 2019/04/28(Sun) -
 今日は風は冷たいがよく晴れ渡った日。
久しぶりに川伝いを歩く。
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この時期川の水が増えているので、川歩きはできない。
川沿いに緑は少ないが、小さな花がいくつも咲いている。
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なかなか良い光景だ。
川の音も爽やかで耳に優しい。
録音ばかりやっていると、仮想空間にいるような気になる。
そう言う時はひたすら外を歩く。
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この時期は獣道も歩ける。

帰るともう夕日が沈む頃だ。
初夏も近い。
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あれとこの機材
- 2019/04/13(Sat) -
 山の仕事場の雪溶けも進んでいる。
この分では5月上旬には雪も消え桜も咲く時期になった。

新しい録音を始めるにあたり、新種のプラグインを物色している。
そんな中でも目をつけているのが、2つのプラグインだ。
一つは『izotope Neutron2』
Neutron2.jpg 
これはミックスダウン時の支援ソフト。
チャンネルから音を読み込み自動的にバランスを取るソフト。

もう一つは『izotope ozone8』
ozone8standard.jpg 
これはミックスしたものを最終段階でバランスを
取りマスタリングを自動的に行うもの。

ここでの音楽創作時は以下の進行で行う。
構想〜作曲〜編曲〜演奏〜録音〜ミックス(編集)〜マスタリング
これを一人で行うのである。構想、作曲は一人。
これには通常専門家が各分野の人間がいる。
人数にして約6人。
スタジオ2019
この作業を35年来一人でやっているが、
やや見えてきたことに、録音までは一人でできるが
編集作業からマスタリングは純粋な音楽制作とは違う
エンジニアの世界であるということ。
嫌いではないが、非常に疲れる。
できば誰かに代わってもらいたい。
そこで先のプラグインの登場である。
何でも出来るわけではないが、相当助かる。

これもコンピュータの性能がが進んできたせいもある。
しかし、こういう便利なものにも落とし穴は必ずある。
アナログとデジタルのせめぎあいはまだまだ続く・・・。



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20.和製ジャズ温故知新2019/最終回ジャズからフージュンへ
- 2019/04/06(Sat) -
和製ジャズ温故知新2019の最終回である。

1960年から日本のジャズを積極的に創ろうという動きは、
新世紀音楽研究所(高柳、金井、富樫、菊池ら)の動きと
相まり、フリージャズの手法にむかう。

これは、ジャズだけではなく現代音楽の場面でも、十二音技法
トータルセリー、シンセサイザーの導入、偶然性の音楽
チャンスオペレーション)を使った前衛的な手法を模索する。
当然であるが、フリージャズも十二音技法も一般人には
受け入れられることはない。

ジャズはフリージャズに向かう事でより一層混沌として崩壊する。
また、現代音楽も進んだ理論に押しつぶされるように、ジャズと同じ道を
たどる。70年代に入り、ジャズは電子音楽、ロック、アフリカンミュージック
とつながり「フュージュン」として活路を見出す。

この時期日本でもフリージャズを経験し、さらに新しいジャズをつくる
為、菊池雅章、日野皓正、渡辺貞夫らを中心に日本のジャズが動いてゆく。
ここまで来てはっきりするのは、フュージュンの流れにうまく乗る者、
時流に乗り切れず50年代のジャズに戻る者と、はっきり分かれてゆくのである。

20回にわたり、1920年代からから1970年まで日本のジャズを見てきた。
そこから見えるものは、日本人の特質とも言える「新しいものを取り込んで
変化させる技術」、それとジャズそのものが持っている、「どんどん変質し
生まれ変わろうとする本質」
である。

その先にジャズがどうなっていくかは、今も現在進行形のままである。
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19.和製ジャズ温故知新2019/希代の天才ドラマー富樫雅彦
- 2019/04/05(Fri) -
ジャズ界の中で○○の天才という言葉をよく使うが、富樫雅彦はまさしく、
その言葉が当てはまるだろう。

1940年生まれ。 幼少からヴァイオリンをはじめ、13歳でドラマーを目指す。
14歳(中学2年)にはチャーリー石黒率いる東京パンチョスでプロ活動していた
というから大変な早熟である。
又、10代から八木正生トリオ、秋吉敏子コージー・カルテットなど複数のグループ
でドラマーとして活躍、天才ぶりを発揮する。
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その後、高柳昌行、金井英人らの作る「新世紀音楽研究所」に参加、
1963年「銀巴里セッション」に23歳で出演。
以前にも書いた「新世紀音楽研究所」はメンバーそれぞれがフリージャズの
要素の強いメンバーが多く、富樫もまた当然のようにフリージャズに傾倒していく。

欧米のジャズはオーネット・コールマンの出現により、フリージャズが盛んになる。
1960年後半の欧米はベトナム戦争反対の世論真っ盛りの時期で、音楽だけではなく
あらゆる芸術活動が混沌として、活況をていしていた時代である。

日本もまた、60年代後半は60年70年二つの安保条約による影響で、社会状況は
混沌として音楽、芸術活動は活況を呈していた時代である。
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しかし、そのような時代でもフリージャズ、現代音楽は時代の主流に
なる事もなく、また民間に注目を集める存在にはならない。
しかし、人間の欲望、混沌を表す一つのツール(ジャンル)として、
フリージャズは一部の市民のから支持されるものになっていく。


1970年富樫は不慮の事故により、ドラマーの生命線と言われる、両足を失う。
普通はそこでドラム生命が断たれるものであるが、天才富樫は両手のみを使い、
常人と同じように繊細なスイングから豪快なパーカッションまでを叩き分けた。

その後、ドン・チェリー、スティーブ・レイシー、チャーリー・ヘイデン、
セシル・テイラー、マル・ウォルドロン、ゲイリー・ピーコック、
リッチー・バイラーク、ポール・ブレイ等の海外演奏から名指しで共演を求められる
ほどの精神性の高いジャズ世界を作り上げる。

しかし、2002年に体調不良の為演奏を休止。作曲、絵画製作に専念。
そのような彼も2007年67歳で生涯を閉じる。

今でもジャズ演奏家の語り草となるのは、「両足のあった富樫は本当にすごかった」という。
その演奏を本当に聞いてみたかった。
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18.和製ジャズ温故知新2019/Break time.ベースの鬼才金井英人
- 2019/04/04(Thu) -
ここで少し歴史をBreak timeとして、個人に光を当てたい。

70年代を牽引したジャズメンに渡辺貞夫、日野 皓正、菊池雅章の3人というのは、
異論のない所であるが今回は、ベースの鬼才「金井英人」を取り上げたい。
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生まれは1931年(昭和6年)東京生まれである。
高校卒業後、南里文雄とホット・ペッパーズ、
西条孝之助とウェスト・ライナーズ、ジャズ・アカデミー・カルテット
(高柳昌行、富樫雅彦、菊池雅章、金井英人)を経て
1962年 高柳昌行と『新世紀音楽研究所』を設立する。

「新世紀音楽研究所」というのが70年代につながる、重要な役割を果たした
研究会である。1963年の幻の「銀巴里セッション」も金井英人なしには
開催されなかったという。

60年代から日本のジャズシーンを底辺から支える役割をして、ベース
という楽器の特徴を最大限に生かし、オーソドックスジャズから
フリージャズまで幅広い活動を行った。
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特に旧ソ連、アメリカ(ロスアンゼルス、サンフランシスコ、ハワイ)、香港、上海、
ネパール、ペルー、ポーランド等、海外を股にかけた、絵画、詩とのコラボレーション
を始め、舞踏家大野一雄とのコラボレーションを行うなど、日本のコンテンポラリー
ジャズのアプローチの第一人者と言える。
  
彼のスタイルは、チャーリー・ミンガス、デューク・エリントンから大きな影響を受けながらも
ジャズと現代音楽の狭間で演奏し続けた、希有な演奏家である。

日本独特の間を取り入れた奏法、どんなジャンルとコラボーレーションをしても
日本人のルーツを感じさせる重厚なベース。
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そのような希有な存在も2011年81歳で亡くなる。
亡くなる直前まで、ベースをかき鳴らしていたという、根っからのジャズマンである。

いま、日本にはこのようなベーシスト(ジャズマン)は本当にいなくなってしまった。
本当に残念である。




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17.和製ジャズ温故知新2019/武満徹とジャズ
- 2019/04/03(Wed) -
和製ジャズを見つめる温故知新、現代音楽作曲家武満徹
とジャズのつながりを考えたい。

戦後のジャズブームを終えて、1960年中頃から一段と
フリージャズの影響が出てくる。
前回のコラム「銀巴里セッション」もその一つの流れと考えられる
のかも知れない。

海の向こうではオーネットコールマンが現れ、一段とジャズが混迷を
深めていく。
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そのような中に同調するように出てきたのが、武満徹である。
一般人にはほとんどなじみのない現代音楽作曲家という肩書き
を持っているが、映画音楽での彼の作品も大変素晴らしいものだ。

音楽作品を知らなくとも、黒沢明の「乱」、「どですかでん」、篠田正浩
の「はなれ瞽女おりん」勅使河原宏「他人の顔」をはじめとして、60年代
から70年にかけて膨大な映像音楽を作曲している。
その重要な要素に彼は、ジャズ手法を多数用いている。

スイングジャズの伝統的手法、デューク・エリントンのビックバンド手法
そしてフリージャズの手法まで用い、当時現れたジョン・ケージを始めとする
録音技術を用いたミュージックコンクレートまでも用いている。
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1960年代後半は戦後の混乱とは違う、高度経済成長の最ただ中である。
戦前の日本人の価値観が崩壊し、戦後新しく価値観を生み出そうとしている
混迷の時期とも言える。

そのような時期に現代音楽、ジャズ、美術、評論、映像に精通している
稀な作曲家武満徹が活躍する。

その後、彼は日本人独自の世界を彷彿させる「武満トーン」を作り上げ
世界のタケミツとなって行く。

勅使河原宏監督「ホゼー・トレス」より
武満徹作曲「トレーニングと休息の音楽」





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