1.和製ジャズ温故知新2019/二村定一。
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- 2019/02/23(Sat) -
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2012年、半年に渡り日本のジャズ起源を調べるために、『和製ジャズ温故知新』
を書いた。それから7年が過ぎ再び昭和の時代を考えている。 というのも、昭和から平成に変わり31年が過ぎ、2019年新しい年号になる。 益々昭和が遠くなる今、再び昭和のジャズを振り返るのも良い気がする。 そこから、日本におけるポピュラーとジャズの息吹が感じられたらと思う。 第1回は日本ポピュラー(ジャズ)の始まりからである。 *********************************** ![]() 日本のジャズ黎明期の前、先駆となった人のことを調べている。 調べてみると、1900年代からすでにジャズとは言えないまでも ポピュラーともジャズとも付かないクラシックの要素が入った ものがこの時代にある。 上記に出てくる二村定一とは ”My Blue Heven"(私の青い空)で一世を 風靡する人である。上記の明治45年(1912年)というと明治の終わり、 大正に入ろうかという頃である。 この時期から日本にはジャズの芽がある。 ![]() それから考えると約100年もの歴史があることになる。 アメリカのジャズが形作られたのが1890年後半なので ほぼ同時期にジャズの時代が作られていたことになる。 これは非常に重要なことで、輸入大国として名を馳せている 日本が、上記記述によると逆に向こうに押しかけたともとれる。 この時期を調べると、明治時代俗謡の名称で多くの曲が一般 大衆に聞かれている。日本最初の演歌を作る「ノンキ節」の 『添田唖蝉坊』はその代表と言える。 昭和に入ると昭和歌謡の父『服部良一』が活躍を始める。 1930年前後の話である。 アメリカではこの時期すでにスイングジャズが始まっている。 以下次回に。 |
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