戦時中ジャズが全く行われていないかというとそうでもない。
前回、3人の名をあげた。
1910年 森山 久(もりやまひさし/サンフランシスコ生まれ)
1911年 ディーブ釜萢(かまやつただし/ロサンゼルス生まれ)
1916年 アイバ・戸栗(とぐりいくこ/ロサンゼルス生まれ)
森山 久は歌手森山良子の父、ディーブ釜萢はかまやつひろしの父である。
この二人はアメリカで日系のジャズ歌手として活動していたが、世界大恐慌
のあおりで日本に来日。いずれも日本に帰化し成功している。
歌手ではない戸栗郁子は戦中アメリカ向けの政策放送(NHK)で
DJのはしり「東京ローズ」として活動し成功する。
この名前は、政策放送を聞いていたアメリカ人が付けた名前である。
戦後、日本になじめない彼女は帰化することなくアメリカに帰るが、
政治犯としてとらえられ、不遇な一生を送ることとなる。
戦中「ゼロ・アワー」「サンデー・プロムナード・コンサート」などと
タイトルがついた番組でジャズを流し続けるが、その演奏に森山、釜萢
の二人も参加していたのである。
しかしこれも、戦局が悪化してくると米英音楽追放の動きが増し、
放送中止になる。 これは1945年の敗戦まで続く。
戦後、森山、釜萢は帰化し日本のポピュラー、ジャズシーンで成功し
平尾昌晃、ペギー葉山ら多くの後進をを育てるが、アイバ・戸栗(戸栗郁子)
は故国に帰るも反逆罪の疑いで終身刑を受ける。
彼女のアメリカ国籍が回復したのは1977年である。
戦中のジャズシーンに関わった日系の3人であるが、それぞれが
戦争によって人生が大きく変わっていく。