18.和製ジャズ温故知新2019/Break time.ベースの鬼才金井英人
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- 2019/04/04(Thu) -
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ここで少し歴史をBreak timeとして、個人に光を当てたい。
70年代を牽引したジャズメンに渡辺貞夫、日野 皓正、菊池雅章の3人というのは、 異論のない所であるが今回は、ベースの鬼才「金井英人」を取り上げたい。 ![]() 生まれは1931年(昭和6年)東京生まれである。 高校卒業後、南里文雄とホット・ペッパーズ、 西条孝之助とウェスト・ライナーズ、ジャズ・アカデミー・カルテット (高柳昌行、富樫雅彦、菊池雅章、金井英人)を経て 1962年 高柳昌行と『新世紀音楽研究所』を設立する。 「新世紀音楽研究所」というのが70年代につながる、重要な役割を果たした 研究会である。1963年の幻の「銀巴里セッション」も金井英人なしには 開催されなかったという。 60年代から日本のジャズシーンを底辺から支える役割をして、ベース という楽器の特徴を最大限に生かし、オーソドックスジャズから フリージャズまで幅広い活動を行った。 ![]() 特に旧ソ連、アメリカ(ロスアンゼルス、サンフランシスコ、ハワイ)、香港、上海、 ネパール、ペルー、ポーランド等、海外を股にかけた、絵画、詩とのコラボレーション を始め、舞踏家大野一雄とのコラボレーションを行うなど、日本のコンテンポラリー ジャズのアプローチの第一人者と言える。 彼のスタイルは、チャーリー・ミンガス、デューク・エリントンから大きな影響を受けながらも ジャズと現代音楽の狭間で演奏し続けた、希有な演奏家である。 日本独特の間を取り入れた奏法、どんなジャンルとコラボーレーションをしても 日本人のルーツを感じさせる重厚なベース。 ![]() そのような希有な存在も2011年81歳で亡くなる。 亡くなる直前まで、ベースをかき鳴らしていたという、根っからのジャズマンである。 いま、日本にはこのようなベーシスト(ジャズマン)は本当にいなくなってしまった。 本当に残念である。 |
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