19.和製ジャズ温故知新2019/希代の天才ドラマー富樫雅彦
|
- 2019/04/05(Fri) -
|
ジャズ界の中で○○の天才という言葉をよく使うが、富樫雅彦はまさしく、
その言葉が当てはまるだろう。 1940年生まれ。 幼少からヴァイオリンをはじめ、13歳でドラマーを目指す。 14歳(中学2年)にはチャーリー石黒率いる東京パンチョスでプロ活動していた というから大変な早熟である。 又、10代から八木正生トリオ、秋吉敏子コージー・カルテットなど複数のグループ でドラマーとして活躍、天才ぶりを発揮する。 ![]() その後、高柳昌行、金井英人らの作る「新世紀音楽研究所」に参加、 1963年「銀巴里セッション」に23歳で出演。 以前にも書いた「新世紀音楽研究所」はメンバーそれぞれがフリージャズの 要素の強いメンバーが多く、富樫もまた当然のようにフリージャズに傾倒していく。 欧米のジャズはオーネット・コールマンの出現により、フリージャズが盛んになる。 1960年後半の欧米はベトナム戦争反対の世論真っ盛りの時期で、音楽だけではなく あらゆる芸術活動が混沌として、活況をていしていた時代である。 日本もまた、60年代後半は60年70年二つの安保条約による影響で、社会状況は 混沌として音楽、芸術活動は活況を呈していた時代である。 ![]() しかし、そのような時代でもフリージャズ、現代音楽は時代の主流に なる事もなく、また民間に注目を集める存在にはならない。 しかし、人間の欲望、混沌を表す一つのツール(ジャンル)として、 フリージャズは一部の市民のから支持されるものになっていく。 1970年富樫は不慮の事故により、ドラマーの生命線と言われる、両足を失う。 普通はそこでドラム生命が断たれるものであるが、天才富樫は両手のみを使い、 常人と同じように繊細なスイングから豪快なパーカッションまでを叩き分けた。 その後、ドン・チェリー、スティーブ・レイシー、チャーリー・ヘイデン、 セシル・テイラー、マル・ウォルドロン、ゲイリー・ピーコック、 リッチー・バイラーク、ポール・ブレイ等の海外演奏から名指しで共演を求められる ほどの精神性の高いジャズ世界を作り上げる。 しかし、2002年に体調不良の為演奏を休止。作曲、絵画製作に専念。 そのような彼も2007年67歳で生涯を閉じる。 今でもジャズ演奏家の語り草となるのは、「両足のあった富樫は本当にすごかった」という。 その演奏を本当に聞いてみたかった。 ![]() |
コメント: |
コメントの投稿 |
トラックバック: |
トラックバック URL
→http://yoshijazz.mindjazz.jp/tb.php/170-eec9f0f2 |
| メイン |
|