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MIND JAZZ雑感/音楽の意義
- 2015/06/04(Thu) -
このところのスタジオ改修に伴いシコシコ毎日スタジオ通い。

この数年こんなに日々の自然の変化に目を向けた事はない。
ここの自然は優しいもの、癒されるものばかりではなく、
「やさしく」「きびしい」。
毎日眺める景色からこんなこと思った。

ここの山から眺める景色は、旭川を遥か越えて
もっと遠くにあるものがみえる。

         『音楽の意義』
光や水や空気の必要性を私たちは生まれながらに知っています。

言葉によって光の意味、水の意味を知らなくても、
生まれながらに私たちの心と肉体は、その“意味”を知っているのです。
それは私たちが “自然の一部”として創られているからです。

しかし、今や、ほとんどの人々が、自分は自然の一部であるという
“一体感”を失いました。

私たちは、 “自然に”従うことよりも、自分の知性に従うことの方が
より高尚な営みであるという、神話にとらわれています。
もし、この “神話”が正しいのだとすれば、私たちは産業革命以来、
一日毎に、一世代毎に、確実に心も身体も健康で豊かになって
いなくてはなりません。

ところが、現実は全くその反対の道を辿っています。
感動する心も、心の豊かさも、今や少しずつ失われつつあります。
知性の土台となるべき感性が、瑞々しさを失くして知性との微妙な
バランスを崩しつつあるのです。

もし、このような状態のまま手を拱いているならば、私たちよりも、
次の世代の子ども達は確実にさらに不毛な環境で生きねばならなくなるでしょう。
(現在、すでに子ども達の世界の中には或る種の病的兆候が見出されるというのに)

肉体が太陽の光や空気、水を必要とするように、私たちの心もまた、
それなしには生きることのできない根源的な滋養物があります。
「感動」という体験がそうです。
心というものは「感動」という体験がなくなって行くと、急速に枯れ衰えてしまいます。
これは大人でも子どもでも同じです。

枯れ衰えた心は、戦争にも隣人の苦しみにも無感動です。
又、心というものは形式的でない真の(ほんとうの)「あたたかさ」や「きびしさ」
に触れないと豊かになることができません。

このような心の “水”、心の “空気”、心の “光”が、絵画や詩歌であり、
そして音楽なのです。


これらの “水”や “空気”や “光”を出来得るかぎり理想的な形で、
次の世代の子ども達の「心」に残してやることが、今生きている私たち
(大人)の最も大切な使命であると信じます。
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